2007年 11月 27日
◆「ペコBook」企画成立の経緯
万余にわたる不二家の経営努力のささやかな一つについて私見を述べさせていただくことをお許しいただければ幸甚と存じます。既にご案内のように、不二家と講談社のコラボレーションによって、「ぺコちゃんbook」(オリジナル人形つき)が完成し、近々発売の予定でございますのはご存知の通りでございます。
この「ペコ本」の企画については、こんな経緯があり少々前史もあり若干長くなりますがお聞きいただけたら幸いです。
私は、不二家飯田橋神楽坂店を引き継ぎ現在不二家飯田橋神楽坂の社長ではありますが、先代の父には二人の息子があり、私自身は神楽坂という町や店舗経営に大変興味を持っていましたし、洋菓子や喫茶やレストランという事業にも大いに関心を持ってはいたのですが、結局店の二代目には長幼の序で兄が決まりました。兄は大学を卒業すると、短期間中堅商社に勤務した後、店を継ました。しかし結論から言いますと、残念ながら後継者の道を進み始めてすぐに、重い病気に罹患し、店舗経営を全う出来なくなりました。
いま思えば、このとき私が店舗を継承する選択肢もあったように思えますが、当時の私は講談社入社したばかりで雑誌書籍の編集に没頭しており出版業界の仕事に夢中でした。
そのため父自らは店長をせず、住み込みの店長を採用し、会長として采配を振るう経営形態を取りました。時が流れ、やがて、店長が40代の若さで急逝するし、私の兄も病没して居りましたので、残されたのは、他家に嫁いでいた妹、と、出版編集者をしていた私しか父の肉親の後継者はおりません。
◆父なき後の十余年の家族経営
家族経営それからの約10年は、講談社を早期退社した私が妻を店長とし、大学生の次男をバイト陣のリーダー、妹夫妻などが支えるという文字通り純粋な家族の協力で、父が残していった「ペコちゃん焼を」焼きながら、不二家飯田坂店を守ってきました。この間には、不二家の階上にドトールを新設し、木造3階を4階建ての小ビルに立て替えました。一時期、妹夫婦が階下の不二家を、わたしが階上のドトールを経営的に分割していたこともありましたが、結局父の残した不二家飯田橋か神楽坂店は、妹と私の二人の後継者が心から協力し合い助け合いながら、経営するのが最善であると考えるようになりました。という結論に到達した以上は忌憚なく意見交換をしあい私が社長、私の次男の平松潮が店長、妻と妹夫妻が役員という態勢を一昨年からとるようになり、また本社のすすめに従って店内リニューアルも致しました。販売も順調に進み、売上増進し始めました。不二家FC部城西地区での売上伸張率でも大いに活躍するようになりました。一昨年、昨年と飯田橋神楽坂店の社業は大いに飛躍、不二家本社自体も変貌する予感が、不二家飯田橋神楽坂店を支える私たち家族を奮い立たせてくれました。
上記に述べた家族全員の高揚感は平成18年の1年間にお店に携わった私達家族全員の心理状態でした。新しい不二家に対して少しでも刺激を与える企画は何かを私は真剣に考えて提案したいという思いも強くありました。
◆ペコちゃんを本にしたい
その時に私が学校を出てから、社会生活を送った出版という本の世界で企画を考えてみようと思ったのは当然のことと思います。約10年前、父からこの店を引き継いだ頃からずっと思い続けてきたことの一つに、不二家は何故ペコちゃんという戦後最も愛されたキャラクターを本にしないのだろうということでした。出し惜しみとも思われたことも事実です。これは出版編集者であれば誰もが当然行き当たる疑問であるかもしれません。私は世代的には団塊に近い世代です。団塊の世代は戦後の貧しさ、戦後の物のない時代を経験しています。そうした中で東京に住む、私たちの心を豊かにしてくれた企業の一つが不二家でした。
車や衣料とは違って食生活に直結するだけあって、それは根強く根深く、私たちを貫き印象を与え続けていました。お店の前や道ばたに立って私達を不二家のお店に誘うあのペコちゃんの笑顔は決して作られた企業のキャラクターと思えませんでした。それは私たちの日本がこれから豊かになる社会への水先案内人の少女のようにも思えました。実際、私たちは不二家の飴やお菓子類に生活の回りに囲まれて育ってきた世代です。これが私の世代の共通体験です。このペコちゃん本を一緒に考えた私のスタッフ岡本弘美にとっての不二家は私達の世代と違って空に輝くあこがれの存在ではなく、むしろ生活に深く浸透していました。彼女に言わせれば不二家はハイカラな象徴ではなく、「安心安全」をもたらす食品メーカーでありレストランであったようです。しかし、ペコちゃんの存在が私達と同様に非常に大きなものであることは否定しがたいものです。彼女の子供は中学生ですがファミレス世代よりもっと若いコンビニ世代ですが、コンビニで買うペコちゃんフィギュアの熱心なコレクターに成長しました。奇しくも、団塊の世代の私とニューファミリー世代の私のスタッフ、それからそのお嬢さんの三世代を貫きペコちゃんのすばらしさを確認できたとき、私はペコちゃん本の企画が日本の庶民各層の広くに受け入れられる企画であると確信を持つにいたりました。この企画を不二家に持ち込むべく、本社に相談したところ平成19年の1月になったら不二家本社の然るべき担当者とお引き合わせいただけることになりました。私は出版の現実性をさらに具体化するためその間を利用しましてこの企画を出身会社の講談社に持ち込んだところ、友人の営業担当部長の田崎明さんは即座に「内容的にもすばらしい内容になるだけでなく」、この本は「売れる!」と言ってくれました。従って私は平成19年の1月に不二家本社の担当者と会うことができることを心待ちにしておりました。
◆「ペコ本」は不二家不祥事で一時頓挫
ところが、私たちをとりまく現実というものは時にドラマ以上のドラマを見せてくれるものです。私達が不二家本社に企画の説明に行くまさに平成十九年1月の時期にテレビ、新聞を含む全マスコミに不二家の不祥事が報道されたのです。もはやペコちゃん本どころではありません。わが不二家飯田橋神楽坂店もその不祥事の余波を受け、1月14日まではペコちゃん焼のみでがんばったのですが、1月15日になると不二家の不祥事の社会的広がりに耐えることができず、断腸の思いで閉店致しました。奇しくも平成19年の9月は不二家飯田橋神楽坂店の開業40周年にあたります。父親から受け継いだこの神楽坂で40年の長きにわたって不二家の灯をともし続けててきた神楽坂店もついには廃業かという重苦しい気持ちが閉店を余儀なくされている暗い飯田橋神楽坂店内に充満し、私達夫婦、息子の店長、妹夫婦が暗く、墓場のごとき店内で押しだまっていました。こうして1ヶ月半が過ぎていきました。ところが一方で再開店を望む声がメール、ファックス、電話で続々と到着したのも事実です。その中のほとんどは「ペコちゃんがかわいそう!」「ペコちゃんは悪くない!」「ペコちゃんを傷つけないで!」というペコちゃんに対する哀れみと愛情に満ちた情でした。
◆「がんばれ!ペコちゃんの声」に押されて、ペコ本を復活
私と講談社の友人は不二家の不祥事の後、一度この「ペコ本」の企画を中止する決意を致しましたが、これらの顧客の反応を見た結果、不二家の不祥事を救えるのはペコちゃんしかいないと心底確信しました。それで再度ペコちゃんの本を講談社と話し合い復活することにしました。いざペコちゃん本の編集を開始してみると北原照久さんをはじめ、多くのファンが駆けつけてくれました。見本で見る限り、小ぶりながら大変中味の濃い本になったと確信を致しております。
サイズ:縦150mm×横150mm、192ページ、人形本体の高さ約70mm
価格 :2,625円(税込)
「お人形絵本館 」さんのブログに掲載していただきました!
http://blogs.yahoo.co.jp/hrwcd244/50612044.html
「コジクミ」さんのブログに掲載していただきました!
ありがとうございます!
http://blogs.yahoo.co.jp/cozzenekumi/51864529.html
万余にわたる不二家の経営努力のささやかな一つについて私見を述べさせていただくことをお許しいただければ幸甚と存じます。既にご案内のように、不二家と講談社のコラボレーションによって、「ぺコちゃんbook」(オリジナル人形つき)が完成し、近々発売の予定でございますのはご存知の通りでございます。
この「ペコ本」の企画については、こんな経緯があり少々前史もあり若干長くなりますがお聞きいただけたら幸いです。
私は、不二家飯田橋神楽坂店を引き継ぎ現在不二家飯田橋神楽坂の社長ではありますが、先代の父には二人の息子があり、私自身は神楽坂という町や店舗経営に大変興味を持っていましたし、洋菓子や喫茶やレストランという事業にも大いに関心を持ってはいたのですが、結局店の二代目には長幼の序で兄が決まりました。兄は大学を卒業すると、短期間中堅商社に勤務した後、店を継ました。しかし結論から言いますと、残念ながら後継者の道を進み始めてすぐに、重い病気に罹患し、店舗経営を全う出来なくなりました。
いま思えば、このとき私が店舗を継承する選択肢もあったように思えますが、当時の私は講談社入社したばかりで雑誌書籍の編集に没頭しており出版業界の仕事に夢中でした。
そのため父自らは店長をせず、住み込みの店長を採用し、会長として采配を振るう経営形態を取りました。時が流れ、やがて、店長が40代の若さで急逝するし、私の兄も病没して居りましたので、残されたのは、他家に嫁いでいた妹、と、出版編集者をしていた私しか父の肉親の後継者はおりません。
◆父なき後の十余年の家族経営
家族経営それからの約10年は、講談社を早期退社した私が妻を店長とし、大学生の次男をバイト陣のリーダー、妹夫妻などが支えるという文字通り純粋な家族の協力で、父が残していった「ペコちゃん焼を」焼きながら、不二家飯田坂店を守ってきました。この間には、不二家の階上にドトールを新設し、木造3階を4階建ての小ビルに立て替えました。一時期、妹夫婦が階下の不二家を、わたしが階上のドトールを経営的に分割していたこともありましたが、結局父の残した不二家飯田橋か神楽坂店は、妹と私の二人の後継者が心から協力し合い助け合いながら、経営するのが最善であると考えるようになりました。という結論に到達した以上は忌憚なく意見交換をしあい私が社長、私の次男の平松潮が店長、妻と妹夫妻が役員という態勢を一昨年からとるようになり、また本社のすすめに従って店内リニューアルも致しました。販売も順調に進み、売上増進し始めました。不二家FC部城西地区での売上伸張率でも大いに活躍するようになりました。一昨年、昨年と飯田橋神楽坂店の社業は大いに飛躍、不二家本社自体も変貌する予感が、不二家飯田橋神楽坂店を支える私たち家族を奮い立たせてくれました。
上記に述べた家族全員の高揚感は平成18年の1年間にお店に携わった私達家族全員の心理状態でした。新しい不二家に対して少しでも刺激を与える企画は何かを私は真剣に考えて提案したいという思いも強くありました。
◆ペコちゃんを本にしたい
その時に私が学校を出てから、社会生活を送った出版という本の世界で企画を考えてみようと思ったのは当然のことと思います。約10年前、父からこの店を引き継いだ頃からずっと思い続けてきたことの一つに、不二家は何故ペコちゃんという戦後最も愛されたキャラクターを本にしないのだろうということでした。出し惜しみとも思われたことも事実です。これは出版編集者であれば誰もが当然行き当たる疑問であるかもしれません。私は世代的には団塊に近い世代です。団塊の世代は戦後の貧しさ、戦後の物のない時代を経験しています。そうした中で東京に住む、私たちの心を豊かにしてくれた企業の一つが不二家でした。
車や衣料とは違って食生活に直結するだけあって、それは根強く根深く、私たちを貫き印象を与え続けていました。お店の前や道ばたに立って私達を不二家のお店に誘うあのペコちゃんの笑顔は決して作られた企業のキャラクターと思えませんでした。それは私たちの日本がこれから豊かになる社会への水先案内人の少女のようにも思えました。実際、私たちは不二家の飴やお菓子類に生活の回りに囲まれて育ってきた世代です。これが私の世代の共通体験です。このペコちゃん本を一緒に考えた私のスタッフ岡本弘美にとっての不二家は私達の世代と違って空に輝くあこがれの存在ではなく、むしろ生活に深く浸透していました。彼女に言わせれば不二家はハイカラな象徴ではなく、「安心安全」をもたらす食品メーカーでありレストランであったようです。しかし、ペコちゃんの存在が私達と同様に非常に大きなものであることは否定しがたいものです。彼女の子供は中学生ですがファミレス世代よりもっと若いコンビニ世代ですが、コンビニで買うペコちゃんフィギュアの熱心なコレクターに成長しました。奇しくも、団塊の世代の私とニューファミリー世代の私のスタッフ、それからそのお嬢さんの三世代を貫きペコちゃんのすばらしさを確認できたとき、私はペコちゃん本の企画が日本の庶民各層の広くに受け入れられる企画であると確信を持つにいたりました。この企画を不二家に持ち込むべく、本社に相談したところ平成19年の1月になったら不二家本社の然るべき担当者とお引き合わせいただけることになりました。私は出版の現実性をさらに具体化するためその間を利用しましてこの企画を出身会社の講談社に持ち込んだところ、友人の営業担当部長の田崎明さんは即座に「内容的にもすばらしい内容になるだけでなく」、この本は「売れる!」と言ってくれました。従って私は平成19年の1月に不二家本社の担当者と会うことができることを心待ちにしておりました。
◆「ペコ本」は不二家不祥事で一時頓挫
ところが、私たちをとりまく現実というものは時にドラマ以上のドラマを見せてくれるものです。私達が不二家本社に企画の説明に行くまさに平成十九年1月の時期にテレビ、新聞を含む全マスコミに不二家の不祥事が報道されたのです。もはやペコちゃん本どころではありません。わが不二家飯田橋神楽坂店もその不祥事の余波を受け、1月14日まではペコちゃん焼のみでがんばったのですが、1月15日になると不二家の不祥事の社会的広がりに耐えることができず、断腸の思いで閉店致しました。奇しくも平成19年の9月は不二家飯田橋神楽坂店の開業40周年にあたります。父親から受け継いだこの神楽坂で40年の長きにわたって不二家の灯をともし続けててきた神楽坂店もついには廃業かという重苦しい気持ちが閉店を余儀なくされている暗い飯田橋神楽坂店内に充満し、私達夫婦、息子の店長、妹夫婦が暗く、墓場のごとき店内で押しだまっていました。こうして1ヶ月半が過ぎていきました。ところが一方で再開店を望む声がメール、ファックス、電話で続々と到着したのも事実です。その中のほとんどは「ペコちゃんがかわいそう!」「ペコちゃんは悪くない!」「ペコちゃんを傷つけないで!」というペコちゃんに対する哀れみと愛情に満ちた情でした。
◆「がんばれ!ペコちゃんの声」に押されて、ペコ本を復活
私と講談社の友人は不二家の不祥事の後、一度この「ペコ本」の企画を中止する決意を致しましたが、これらの顧客の反応を見た結果、不二家の不祥事を救えるのはペコちゃんしかいないと心底確信しました。それで再度ペコちゃんの本を講談社と話し合い復活することにしました。いざペコちゃん本の編集を開始してみると北原照久さんをはじめ、多くのファンが駆けつけてくれました。見本で見る限り、小ぶりながら大変中味の濃い本になったと確信を致しております。
サイズ:縦150mm×横150mm、192ページ、人形本体の高さ約70mm
価格 :2,625円(税込)
「お人形絵本館 」さんのブログに掲載していただきました!
http://blogs.yahoo.co.jp/hrwcd244/50612044.html
「コジクミ」さんのブログに掲載していただきました!
ありがとうございます!
http://blogs.yahoo.co.jp/cozzenekumi/51864529.html
#
by pekochan-yaki
| 2007-11-27 00:36
| ペコちゃん必死の戦い